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100周年記念インタビュー
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松月堂 100周年を記念して、4代目である佐藤隆史さんに

創業100年への想いを伺いました。

(聞き手:神宮司亜沙美)

毎日病院に通い、レシピを聞くことから始まった

− 佐藤さんがとても若いときに、先代のお父様が亡くなられているんですね。

佐藤 はい。高校を卒業して2年後のことでした。札幌の洋菓子屋さんで卒業後すぐに修行をはじめて、21歳のときに妻と結婚しました。結婚式の当日になって親父の姿が見えなくて、「どうしたの?」と母に聞くと急に泣き崩れて。そのとき、親父がもう長くないことを知りました。

− その後すぐに本別に戻られたんですか?

​佐藤 新婚旅行をキャンセルして、結婚式の次の日には本別に戻り病院に駆けつけました。親父がそんな状態なので、母はもう店を閉めるつもりでいたんです。店を人に貸して、お菓子は他の人に作ってもらえばいいと...。

− でも隆史さんが店を継ぐと。

佐藤 親戚にも大反対されました。「たった2年しか修行してないで、何ができるんだ」って。でも松月堂の名前がなくなることが嫌だったんです。

− 先代のお父様はどんな人だったんですか?

佐藤 僕とは正反対の性格でした。とにかく仕事人間で、朝から晩まで働いていた印象です。家の手伝いをするのが当たり前で、少年団から帰ってきて店の手伝いをしてから宿題をやる、そんな日常だったので、子供の頃はとにかく店が嫌いでした。

− お父様が倒れてから本別に戻られたということは、一緒に働いたことは...

佐藤 ないですね。子供のころの手伝いくらい。だから、店を継ぐときには大変でした。レシピを残すような人ではなかったから、親父の病気がわかって本別に帰ってきてから毎日病院に通って、レシピを聞き出していました。

− すべてのレシピを聞けたのでしょうか?

佐藤 いえ、諦めたお菓子もあります。親父もその頃にはもう上手くしゃべれなくて、でも死ぬってわかってたから、ベッドの上で動けるときに書き留めてくれていました。

店の危機を救ったのは父の形見のシフォンケーキ

− その後、店はどうだったんでしょうか。

佐藤 ​いや、つぶれそうでした。親父が亡くなってからは、最初はみんな同情で来てくれるんですけど、それからだんだん「味おちたね」とか「商品ないね」と言われるようになって。会計事務所の人に「この状態があと1年続いたら、店を畳んでください」と言われました。そこからですね、気持ちが切り替わったのは。

− そこからどうやって挽回したんですか?

​佐藤 シフォンケーキです。親父の代からあった。つぶれそうってなってから、家族みんなで話し合ったんです。うちの商品で何が一番強みだろう、何を一番食べてもらいたいだろうって。そしたら満場一致でシフォンケーキだったんです。でも当時はぜんぜん売れていなかった。

− それはなぜだったんでしょう?

佐藤 わかりません。どう売ったらいいんだべってみんなで考えました。その当時、地元のデパート・藤丸で菓子フェスタっていうのをやってたんです。どうやってでたらいいかも知らなかったけど、菓子フェスタにでてみよう!って。で、何もわからないまま出店して。

− 結果はどうだったんですか?

佐藤 1日目はまったく売れなくて(笑) そしたら嫁が「わたし、頑張って売ってみるわ」って言ってくれて、試食をだしはじめたんですね。2日目は1日目の倍売れたんです。それで、開催中どんどん個数を伸ばしていって、最終的に最終日は200個近く売れました。「シフォンケーキって売れるんだね」って家族みんなが思えた瞬間でした。

− ちなみに、お父様の代からレシピは...

佐藤 変えてないです。親父のシフォンケーキを家族みんなで協力して売って、シフォンケーキをきっかけに松月堂を知っていただけるようになりました。シフォンケーキは親父の形見ですね。

人口が減る町で、300年続く店を目指して

− 100周年のイベントはとても盛況だったそうですね。

佐藤 ​開店9時だったんですけど、早い人は7時半から並んでいました。俺、普段はぜんぜん緊張しないんですけど、その日は久しぶりに手が震えました。

− それはどういう震えですか?

​佐藤 オープン前ですでに150人並んでいたんです。「これから店を開ける。こんなに対応できるだろうか」っていう震えでした。ぜんぜんお客さんが途切れなくて、入場制限もかけました。でもたくさん来てくださって嬉しかったです。

− 通常の営業をしながらのイベント開催は大変だったんじゃないでしょうか。

佐藤 たくさんの人たちが助けてくれました。当日の交通整備や、前日の夜に2、3時間くらい店の装飾を手伝ってもらったり、土建屋の友達はくす玉の土台を作ってくれました。商工会青年部にはいっていて、自分も部長をやっていたこともあってたくさんの繋がりがあって。その繋がりがあったからできたことだと思っています。

− お客さんの反応はどうだったんでしょうか?

佐藤 こんなにたくさん「おめでとう」って言ってもらえると思ってなかったんです。そのくらい、当日はたくさんの人に「おめでとう」と声をかけていただきました。もう店には立っていない祖母も店に座ってもらったんですけど、子供のころ店に来ていたという人が「おばあちゃん、まだ生きてたんだ!」って喜んでくれたりして。自分が勝手にやるって決めてやったイベントだったのに、こんなにお祝いしてもらえるなんて思ってなかったです。

− 100周年をやる前と後で、心境に変化はありましたか?

佐藤 当日はシフォンケーキを無料で配布してたんです。それがなくなったら、お客さんは来なくなるんじゃないかと思ってました。でもなくなっても並んでくれていたんです。あと、終わった後に近隣のお店に謝罪に行って。とても迷惑をかけたので。でも「ぜんぜん謝ることじゃないよ」「またやってよ!」って言ってくれたんです。

− それはどうしてだったんでしょう?

​佐藤 松月堂は本別の商店街にありますけど、100年を迎える店や企業なんてそんなにありません。それに、後継者がいない店も多くて、「そろそろ店たたむかな」とか「いつまでやれるかな」っていう声が多いんです。100周年イベントの時は本当にすごい人で。「昭和の商店街を見ているようだった」と言っていただけたんです。本別町は十勝の中でも帯広の次に栄えた町だったそうです。

− 町への危機感と希望を感じてのお祝いの言葉だったんですね。

佐藤 町への危機感は、やっぱりありますね。商売やってる人はみんな。本別町はいま人口8000人くらいですけど、人がどんどんいなくなっています。人がいなくなるということはお客さんがいなくなるということだし、人手が確保できないということですから。

− そんな危機感もふまえて、今後の目標を教えてください。

佐藤 そうですね...。俺は子供が6人いるんですけど、長男がいま店を継ぎたいと言っているんです。俺は店が最悪の状態で継いだので、息子の代には最高の状態で渡してやりたいと思っています。そして、俺の代で100年だったから次は200年を目指して進んでいきたいなと思います。

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